おやじの背中——未来を背負う子どもたちへ 同時に、 子供の不登校を心配する親に
子どもは、言葉よりも「背中」を見て育ちます。
叱ることでも、教えることでもない。ただ、背中で語る。それはつまり、生き方で語るということです。
毎日黙々と働くその姿、苦しくても歯を食いしばって立ち上がるその姿、誰かを思いやる優しさをふと見せるその姿 ――
子どもは、私たちが思う以上に、それらを見て学び、吸収し、自分の中に刻み込んでいます。
いまの時代、子どもたちは多くの誘惑と孤独にさらされています。
不登校、SNS依存、ゲーム漬けの日々。
見えない社会の重圧や、比較され続けるプレッシャーの中で、
「本当の自分ってなんだろう」「どこに向かえばいいのだろう」と迷い、立ち止まっている子も多いことでしょう。
そんな時代だからこそ、「おやじの背中」が意味を持ちます。
「夢を語れる大人」でいよう。
「失敗を恐れず挑戦する姿」を見せよう。
「誰かの役に立つことに誇りを持つ」生き方を見せよう。
夢を持つことは、子どもにだけ与えられた特権ではありません。大人こそが、今こそ夢を語るべきです。
例えば、50歳を過ぎてから新しいことに挑戦する姿を見せるのもいい。定年後に趣味を極める姿を見せるのもいい。
人生に「遅すぎる」という言葉はありません。
子どもは、大人が人生を楽しんでいるかどうかを、肌で感じ取っています。
「なんだか楽しそうだな」
「自分もいつか、あんなふうに笑っていたいな」
そう思えるような、そんな背中を見せたいのです。
SNSの世界に入り浸って、現実との接点を失いかけている若者には、「リアルの世界の温かさ」を体験させましょう。
焚き火を囲んで語らう時間や、一緒に山に登る経験、誰かのために汗を流すボランティア。スマホでは得られない「心の震え」が、そこにあります。
そして、もし我が子が不登校になったとしても、慌てず、責めず、ただ一歩下がって見守る余裕を持ちましょう。
「学校に行かなくても、君には価値がある」と伝えてください。人と違う道を歩むことは、決して恥ずべきことではありません。
大切なのは、「どこを歩くか」ではなく、「どんな思いで歩くか」です。
おやじであるあなたが、誰かの役に立とうとする姿勢を見せれば、子どももきっとその姿に感化されます。
あなたが人生の意味を問い続ける姿を見せれば、子どももきっと、自分の人生を真剣に考え始めます。
「子どもに希望を与えたい」と思ったら、まずあなた自身が希望を持ちましょう。
「未来に夢を見せたい」と願うなら、まずあなたが夢を語りましょう。
おやじの背中は、何よりも雄弁です。
その背中が、子どもたちにとって、人生という道を照らす灯台でありますように。
そして、あなたの一歩が、次の世代の一歩を後押しする追い風となりますように。
おやじの背中には、未来が宿っています。
2025年4月24日 弁護士 川原俊明